スポーツ留学生のひとりごと。

初めまして!このブログではスポーツ留学を考えている人たちが少しでも留学のイメージが湧きやすいように。そして行ってみないと分からないような現地の情報を一人一人に質問し、まとめています。海外の留学に興味がある方は是非色んなスポーツ留学生の先輩を見てみてください!

齊藤浩太郎:理学療法士

 

紹介文

出身地:新潟県上越市(世界一の豪雪地域)生まれ

高校を卒業して脱新潟、愛知県名古屋市の大学へ

出身校

新潟県立高田高校、名古屋大学

生年月日:1994年3月26日

競技:バスケットボール、アメリカンフットボール

国:アメリカ・アリゾナ州インディアナ州

主な経歴

高校バスケ(選手): 新潟県総体ベスト16

大学アメフト(トレーナー、コーチ): 東海リーグ優勝 (2017年度, 2013年度)

名古屋大学アメリカンフットボール部スタッフリーダー

理学療法士 (2016.4)

JARTA認定スポーツトレーナー(2015.12)

モットー:Fake it till you make it

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〜質問欄〜

今回取材に応じてくれた理由

本庄さんにご依頼いただいた際、彼女が奮闘されている活動のビジョンに共感したから。

 

留学目的

アメリカへの憧れ、スポーツ/医療現場での疑問、奨学金の存在などいろいろな要素が良いタイミングで重なったことが今回のアメリカ留学のきっかけです。

高校までバスケを続けていたことや、大学でアメフト部の学生トレーナーをしていたこともあり、NBANFLなどアメリカのスポーツが好きで、漠然としたアメリカへの憧れは以前からありました。留学しようと具体的に考えたのは、修士1年生の時でトレーナー活動や、クリニックでの勤務を通じて、自分自身の介入には本当に根拠があるのか?と考えるようになりました。例えばあなたが腰痛で困っていてクリニックを受診したとします。医師や理学療法士に対して「あとどれくらいで痛みは改善しますか?」と聞いた際に、「やってみないと分からない」や根拠もないのに「ストレスが原因です」などと言われたらあまりよい気持ちはしないと思います。もちろんピンポイントで、○週間で治りますと断言することは難しいですが、出来る限り再現性があって根拠のある介入方法がベースになることが重要と考えています。専門用語ではEvidence Based Medicine: EBMと呼ばれています。

どこかでEBMを学べる環境はないかと考えたときに、アメリカの大学院を見つけました。大学院進学のためにはアメリカの大学で単位を満たす、医療施設で見学をおこなうことが条件と知ったので、まずは日本の大学院を休学して、アメリカのコミカレ(2年制の短大)で授業を受けることにしました。 また、この時期にちょうど大学でトビタテ留学JAPAN日本代表プログラムの奨学生を募集していて、主にボランティア活動やインターンシップなどの実践活動に対して奨学金が給付されるとのことだったので、せっかくアメリカに行くならコミカレで授業を受けるだけでなく、現地で病院実習や研究活動もしようと思い、留学計画に組み込んで応募しました。

留学計画の立て方

基本的にはエージェントを通さず、全て自分で計画しました。情報収集はトビタテの先輩を学校内で探して知り合いの知り合いを伝ってアポを取りました。。

留学目的自体はある程度固まっていたのですが、応募締切の2週間前にトビタテ留学ジャパンの存在を知ったこともあり、かなり焦りましたね。

「どこのコミカレに進学するか」「医療機関の見学先や研究活動先をどう確定させるか」については具体的なプランかつコネクションもなかったのでかなりバタバタしました。コミカレに関しては、無料で開催されている留学説明会や大学の留学支援室に相談して詳しい人から情報を集め、医療機関や研究活動先に関しては海外のホームページや論文を読んで、自分の学びたい分野にマッチしている施設に直接メールで受け入れの交渉を進めていました。医療機関に関しては、膝関節鏡手術やACL再建術に関して世界的に高名なドクターが開設した多くのアスリートが訪れる施設を見つけ、時間はかかりましたが、担当者の方とメールで交渉し受け入れ許可を頂くことが出来ました。研究活動先に関しては、メールだけでは順調に話が進みませんでしたが、国際学会に参加していろいろな大学の研究者に直談判することで受け入れの許可を頂きました。並行して交渉していたクリニックやスポーツ施設も、結果的に受け入れ許可をいただいたので、授業の合間を利用して訪問しました。NFLキャンプが見学先で偶然行われていて、NFL選手と一緒にお話させていただき、トレーニングできたのは本当に幸運でした。アメフト部の仲間と毎年一緒にスポーツバーで観戦していたスーパーボウルにでていた選手と今、話している、、、。と思うとなんだかびっくりしすぎて現実味がありませんでしたね。

結果的には当初の予定よりも良い活動ができましたが、受け入れ許可が期間内に得られず、最悪の場合奨学金受給停止かもしれないというプレッシャーは中々ストレスでした、、、。

もう少しはやめに情報を収集して、計画的なプランを練っておけば、、、とも思いましたが、とりあえず見切り発車で今回の留学が実現出来た事は本当に良かったと思います。締め切り2週間前のあの日、諦めなくてよかったなとも思います。結果論ですけどね。苦笑

留学前のイメージ

 

アメリカではどこの施設でもEBMを実践している(自分がこれから大学院で学ぼうとしていることをアメリカではどこでも一般的に行われている)と思っていました。

あとは、憧れだった本場のアメフトやバスケはとても盛り上がっているんだろうなあ、とか下手くそなりに、ある程度は英語が通じるのではと、かなりポジティブな印象を持っていましたね。

留学前の英語力

オンライン英会話をしていたので、かなりレベルは低かったですが形にはなっていたと思います。大学にいる留学生と日常会話をする、海外の大学院生との研究に関して簡単なディスカッションもしていました。周りの大学院生よりは少ししゃべれるかなあくらいです。今でも英会話にはかなり苦労していますが、英会話に対する抵抗はオンライン英会話で大分なくなりましたし、留学前の導入としては重宝しました。月額5000円ほどで始められますし、スマホやパソコンがあればいつでもすぐに予約をいれてレッスンを受けることができます。オススメです。

現在の英語力

ベースの知識があり、あらかじめ予習した内容であれば先生の話す英語は大体聞き取れている感じはあります。

知らない専門用語が多くでてくると一気に授業からおいていかれれて、はやく授業終わってくれとしか思わない日もあります。

ディスカッションで自分の理解が浅い内容であると、ネイティブとの会話にはあまりついていけないですね。先生よりも生徒の方が早口でイレギュラーな表現を多く使うので聞き取るのが大変です。先生と一対一であれば、自分の質問したい内容を正確に伝える、相手から期待する答えを得られるようにはなってきました。

留学後変わったこと

英語学習に対する危機感はかなり変わりました。下手とは自覚していましたが、ここまで自分の英語が通じないとは思いませんでしたね。

病院に行った時は顕著で、患者さんと理学療法士の会話にまるでついていけず、このまま大学院に進学して実習など乗り切っていけるわけがないと痛感しました。

あとは、アメリカの医療施設も多種多様で、自分の思い描いていたEBMがかなり実践されているなと感じる施設もあれば、こんなに大雑把に評価・治療していてよいのかな?と感じる場面もありましたね。教育レベルに関しては圧倒的な差がありますが、日本人の勤勉さや解剖学に関する丁寧さ、徒手療法の技術など今回出会ったアメリカ人理学療法士より優れた点もあるなとも感じました。ただ、アメリカのほんの一部の施設を訪れただけですし、日本でも臨床経験が何年もあるわけではないので、日本は〇〇でアメリカは△△みたいな比較なんて、まだまだ出来ないなあと思っています。

留学中に困難を乗り越えた経験

大きな挫折みたいなことはありませんでしたが、とにかく英語が通じない、ルームメイトとの生活スタイルのギャップ、大量のホームワークなど細かなストレス、アメリカ留学生あるあるにずっと苦しめられている感じです。苦笑

ただ、病院実習にいって素晴らしい医師や理学療法士に出会って、自分の知識不足に本当にショックを受けました。すぐに自分が担当していたアメフト部の選手や患者さんとリンクさせてしまうんです。あの時こういう介入をしていれば、あいつは最期の試合で走れていたかもしれない、、、〇〇さんの膝はこうすればもっと良くなったかもしれない、、、と半ば自分を責めるくらいの勢いで考え込んでいました。思い返せば病院実習の1ヶ月間はフルタイムの実習に加え、オンラインでサイエンス系の科目を6単位とっていたこともありかなり大変でした。大学のあるアリゾナ州と病院実習先のインディアナ州は時差が2時間あり、課題の締切を2時間遅らせることができたのは唯一の幸運で、時差がなかったら課題間に合ってなかったと思います。。。様々なストレスはありますが、しっかり睡眠をとったり、たまにビールがぶがぶ飲んだり、遊びに行ったり。ストレスとうまく付き合いながら日々奮闘している感じです。学校の先生やクラスメートがとても親切なので、毎日助けてもらっています。

留学後の留学イメージ

以前から思っていたほど、留学に行くこと自体へのハードルは下がりました。僕が在籍しているコミュニティカレッジは4年制の大学よりも授業料が安いですし、アリゾナは物価がそれほど高くないので莫大な費用はかからないです。僕が支援いただいてるトビタテなどの奨学金の存在も大きな支えとなっております。コミカレに籍を置いておけば、授業のない時間を利用して現地のボランティア活動やインターンに参加することは可能ですし、良い経験になると思います。スポーツに関して言えば、4年制大学への編入を目指して日本人のバスケットボールプレーヤーがコミカレで経験を積んでいるなんて例もありますし、海外でスポーツに挑戦したいという方は選択肢の一つとなるのではないでしょうか。勉強面に関してはホームワークの量などは日本の大学に比べ格段に多く、思っていたよりも大変です。

今後の目標

大学院進学が一つの大きな目標ですが、あくまで手段の一つという位置づけです。

対象者は多岐に渡りますが、例えばアスリートが怪我に苦しまないでスポーツに打ち込んでいる、患者さんが笑顔で自分らしい生活をしている。今よりも根拠や自信を備えて、それらの情景が実現できる理学療法士になりたいと考えています。

スポーツ留学生に伝えたいこと

あまり頑張りすぎず、肩の力を抜いてみるのも時には大事かと個人的に思います。

もちろん日々のトレーニングや練習を必死に努力するのは大切なことですし、根性論的な考え方も体育会系の僕は好きです。

ただ、学生スポーツは時間が限られていますし、海外に挑戦するとなると日本では経験できないさまざまなストレスがあります。

あれもこれも頑張っていて、結局大事なところを見落としてしまってはもったいない。まずは自分の目標にとって一番重要な行動にフォーカスすることが必要だと思います。

SNSで自分を奮い立たせるためにポジティブな言葉をいっぱい発信する、とにかくやり切る!!どこまでも突き抜ける!!と言っている人ほど見えないところでとても苦労していたり、多大なストレスを抱えていたり、理想と現実のギャップに苦しんでいる印象です。もちろんそれ自体素晴らしいことだと思いますが、たまには、うまくさぼったっていい。人の助けを借りてもいい。せっかく頑張っていても、努力のベクトルがずれていては成果が出にくいと思います。それを正しい方向へ導いてあげるサポートをするのがトレーナーの一つの役目とも考えています。

あとは、少し専門的で細かい話になりますが、命は大切にしてほしいです。

熱中症や脳震盪が原因で尊い命が失われてしまうケースはスポーツ現場に少なからずあります。

高校バスケウィンターカップで強豪校の選手が脳震盪で一度コートを離れた後にすぐに復帰して活躍した事例やフィギアスケートの羽生選手が脳震盪が疑われた状態で競技に復帰したことが美談のようにメディアに取り上げられていましたが、非常に危険だと考えています。例えば一度目の脳震盪による症状がのこったままもう一度脳震盪をおこすと致死率が50%以上になるとも言われています。負けたら引退の試合だから、自分にとって重要な試合であるからというケースは多々あると思いますが、命よりは重要でないはずです。

自分でそういった知識をつけていく努力や周りのメディカルスタッフと情報交換をして自分を守ることは忘れないでほしいですね。

最後に一言

今回齊藤さんとはトビタテスポーツ関連のFacebookで知り合いました。話せば話す程共通の友達が沢山居て、今まで関わって居なかったのが不思議なくらいでした。芯を持った素敵な方で、今回の取材の際も私が選手だという事もあり自ら文章を前もって考えてくださったり、私の負担を減らして下さいました。理学療法士は様々な人を助けるという意味でもそういった心の配慮も大切だという事も感じました。トビタテを締め切り2週間前に知っても受かるというのは、それだけしっかりした留学計画が元々あったという事がわかります。トビタテを受ける人たち、そうでない人たちにもしっかりとした計画を立てて留学する意義を考えてもらえるきっかけになる記事になればと思います。齊藤さん本当にありがとうございました。

 

齊藤さんの出身の名古屋大学が西日本一を目指すための資金をクラウドファンディングを行っています!

応援よろしく御願いします。

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readyfor.jp

こちらはJARTAのリンクになります。 

スポーツ選手にとっての有益な情報も沢山書いてあるので是非覗いてみてください😆

JARTA | JARTAはスポーツトレーナーを養成する協会で、独自のトレーニングで選手のパフォーマンスアップに貢献しています。

記者:本庄遥

 

有馬航輝:馬術 〜自分VS自分〜

 

 

〜紹介文〜

出身地:長崎県佐世保市生まれ。高校進学を機に鹿児島県へ

    現在鹿児島大学農学部4年生

出身校:県立加治木高校

生年月日:1994年9月9日

競技:馬術(障害馬術

国:オーストラリア

期間:2017.3~2018.3

ビザタイプ:W/H

主な経歴:鹿児島大学馬術部主将、九州学生馬術連盟幹事長、全日本学生馬術連盟学生理事

SNS:Facebook(有馬航輝),Twitter(@poxyponx)

〜質問コーナー〜

今回取材に応じてくれた理由

実際に留学する前には、鹿児島大学馬術部主将、九州学生馬術連盟幹事長、全日本学生馬術連盟学生理事という任務を全うした。上記の三つの仕事をこなした後、これからどうしようかと考えたときに、はっきりした目標が見えずなんだかしっくり来なかった。そして、

「僕は本当はどういうことに挑戦したいのか、やりたいことはなんなのか」

をもう一度考え直したいと思った。そんな時、「トビタテ留学ジャパン」に出会った。

留学に行こうと思っている人、留学に憧れている人の中には一握りの「THEスポーツエリート」ばかりでなく、自分の目標を明確化するために行く人や、自分と向き合うために行く人もいるということを知ってくれたらと思った。そして、そんな人たちが思いっきり頑張れるような一歩踏み出す勇気に変わってくれたらと思った。僕は大学から始めた馬術で留学した。スポーツで留学したっていう意味を自分自身振り返りたかった。

 

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留学目的

馬産業の中で働き出す前に、馬文化の発達したAUSで、技術面や知識だけでなく、どんなビジネスが動いているのか、どんなルールの下でスポーツとして動いているのか、どんな人がどんな思いで関わっているのか、ジュニア達はどんな乗り方をしているのかなど現場レベルのマジを感じたいと思った。日本には無い管理方法で飼われているAUSの馬術競技馬たちから日本でも通用する考え方を得たかった。プロになるための下積み期間スタートの一年にしようとおもった。

 

留学計画の立て方

留学に興味があるって言っていた友人の付き添いで、大学の留学相談の部屋に行った。その時は、「とりあえずこの子がどんな話するのか聞いておこう」くらいの感じで座っていたけど、いつのまにか僕の喋りが止まらなくなり、「トビタテの応募書類にそのままその思い書けるよ!」って言われ書き始めた。

僕の場合は誰かに相談したというよりは、自分がやりたい事を自分の中で考えて、ありのままの姿を文章に綴った。気がつけば、日本を出ていたって感じ。応募書類を書く際、留学先の会社社長が日本での仕事をされるときに一方的にメールを送りつけ、なんとか日本でのお仕事に一週間同行させてもらった。そこで僕の将来や、社長がプロとして感じてきたことなどたくさんお話ができた。「じゃあうちにおいで」って感じで、留学計画が一段階上の現実味を帯びた。その時に、馬術競技馬だけでなく、普段関係者以外入れない様な競走馬の厩舎まで連れて行ってくれたことで、将来自分がどういう進路を取ればいいのか考える機会にもなった。留学計画を立てる時に、学生間で納得し合うよりもやりたい事に直結する人に直接会いに行くことが一番重要だと思う。そうすることで、より留学計画に実現可能性が高くなる。行動を起こせるか起こせないかで、そもそも「トビタテに受かる受からない」ということよりも自分のやりたいことができる環境に近付くことも出来ると思う。

 

留学前の留学イメージ

ワーホリでいってる人たちは楽しそうだなあとか、すっごい綺麗な写真をとってるなあとか、普通にいるような留学に憧れる大学生だった。明るくハツラツとしたものというイメージがどうしても強かった。インスタ映えやばめな感じ?今思えばとても表面的な感じ方しかしてなかった。それぞれが何を考え日本を出たのかそういう内面的なことを今はものすごく知りたい。

 

留学前の英語力

高校英語、大学入試で使う程度のなんの変哲も無い大学生。別に受験英語不得意でも無いし、そこまで自信を持って得意でも無いし・・・。英語を喋るという面では、今思えばものすごく壁を感じていたと思う。

 

現在の英語力

最初は本当に「何言ってるの?」ってあたふたしていたと思う。僕の場合、語学学校に行くという余裕はなかったし、留学先のファームも日本人経営という特殊な環境だった。英語を喋るといえばファームに来るお客さん達と馬のことについて話すことくらいで、語学学校で勉強している人の足元にも及ばないと思う。最終的には、英語でアルバイト(簡単な接客)もしたし、電話で飼料会社への注文を任されたり、お客さんの馬についての管理も英語で伝えられたり、装蹄師と連絡取り合ったり、英語への壁はいつのまにか消えていた。

 

留学してみて変わったこと

ものすごく自分の内面と戦ったり、理想と現実のギャップに潰されそうになったりしんどいって感じる期間がほとんどだった。留学したからこその悩みや今後やるべき事が増え、明確化した。でもその悩みや、しんどさを経験することなしに、普通に大学卒業して〜働き始めて…。っていう進路を選択していたかも知れないと思うと本当に怖い。今回の留学は僕にとって「なくてはならない時間」だった。人それぞれ“修羅場体験”は違うと思うけど、“自分vs自分”が僕の修羅場体験だった

 

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留学中の困難

スポーツ留学って、色んなことを知れば知るほど、そのスポーツの難しさが身にしみる。そして自分が追い求めている理想と、今自分が持っている技術や知識とのギャップにものすごく苦しむものだと思う。早くあのレベルまで行かなきゃ!とか一年であそこまで完成させなきゃ!って思えば思う程それが焦りにつながる。そして目先の目標を飛び越えて、3歩先の技術に飛びついてしまう事や、今本当に大事にしなきゃいけないベーシックな感覚から逸脱する事もあった。そして、自分のやってきたこととのギャップを受け止めなければならなかった。僕がこの留学中にいつも心がけ、苦労したことは、「自分の心を真っ白にし、相手の意見をフラットな体制で受け入れる事」だ。どれだけ着実に、丁寧に、純粋に積み上げていけるかが重要だと感じた1年間だった。

 

今後の目標

理想としては、大学卒業後3年ないしは5年またAUSに戻って更に学びを深めたい。この一年の留学は僕にとって、全てのことが「基礎」を知る一年であった。これからは、応用、実践と先の領域に挑戦したい。最終的には日本とAUSで必要とされる知識と技術、経験をもつ本当のホースマンになりたい。

そして、こういう環境があることを後輩達にフィードバックもして行こうと思う。理由は、僕が高校生の時はこんなことができるなんて想像もしてなかったから。まさか、自分が留学するなんて、ましてや馬の勉強のためになんて。そして、僕たちの周りには思っているよりも莫大な人生の選択肢が転がっていることさえも知らなかった。それだけじゃなく、僕!私!こういうことを頑張りたいです!って言えたらたくさんの人が応援してくれるし、直接サポートしてくれたりする事も知った。人生の先輩の意見を大学生や高校生が聞けるような場を設けて、未来の学生たちに選択肢を与えられるようにしていきたい。

 

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スポーツ留学生に伝えたいこと

スポーツで生きる=選手以外の肩書きをいくつ持てるかだと思う。自分の生活を支える柱を何本立てられるか。今や肩書きを変えて生きる、これまでにない肩書きを自分で作ってしまう時代。スポーツ留学だから技術の吸収がもちろんだけど、周りの枝葉となる分野は何かも考えることが必要。どんなことが周りで行われているか、どんな技術に需要があるか、どんな知識が求められているか、アスリートに求められている社会的価値は何か、広く周りを見ることが必要だと思う。軸だけにこだわり過ぎず、たくさんの分野に興味を持つ。こういうことも将来勉強したいなって分野をたくさん宿題として持って帰ってきていいと思う。僕自身宿題まみれで帰ってきた。留学中社長に「今完璧にしようとしても、うまくいかない時はうまくいかないもの。宿題としてこれから続くホースマン人生の中で少しずつ解決していければいいんじゃないか?」と言われて少し楽になった。「そうか、僕はまだこのスポーツを始めて3年ちょっとしか経ってない。今はベーシックを固める時期だ」って。それが僕の留学の意味だって。聴き心地のいいうわべだけのカッコいい言葉より、あなたの本当の「留学の意味」を聴きたい。

 

取材後の一言

彼と初めて出会ったのは、留学一時帰国直前の2月でした。その後も何か発展、新しい案があるたびにお互い連絡を取り合っていて、今回の取材も快く引き受けてくれました。取材のイメージは、例えどんなに悪い留学でも美化したり、綺麗な部分だけ見せてもおかしくないのが取材です。しかし彼は「自分の留学をありのまま語りたい。そして、僕と同じようなケースで留学生している人に希望を与えたい」そういう思いで取材を受けてくれました。彼の経験は苦労が多かった分、どうしてもネガティブな文章に見えるところもあります。しかし、私にはしっかり次の目標をはっきりさせて帰国したように感じました。とにかく熱く、馬術に対する思いが強い。今後は馬術だけでなく、未来の後輩、そしてスポーツ生に対しても色んな形で刺激を与え続けてくれる人だと感じることができました。

取材を受けてくれたこうきくん、本当にありがとう。

これからも「スポーツ留学生のひとりごと。」は留学に興味がある皆さんに一人でも多く留学のハードルを下げ、スポーツ留学生が増えるように発信していきます。

記者: 本庄遥

 

本庄遥:ソフトボール

 

 

今回は第一号ということで、ブログ経営者の私自身が自分で質問して自分で書きます。笑

 

〜紹介文〜

出身地:実は横浜生まれの東京育ち。5歳の時に兵庫県に来ました。

出身校:創志学園

生年月日:1996年3月29日

競技:ソフトボール

国:オーストラリア

主な経歴:中体連ベスト4、インターハイ優勝、関西リーグ防御率0最優秀投手賞など

モットー:やりたいことをやる

 

〜質問コーナー〜

 

今回取材に応じてくれた理由

立ち上げ本人だから。笑 

私自身が留学をした時に、グランドの状況すら全く分からず留学に来たことで来てみて現地のことがわかったことが多かったので、もっと海外でスポーツをしたらこんなことが壁になってこんな風に準備しておくといいよということが知りたかったと感じたから。

 

留学目的

高校の時に対戦した韓国人の実業団の人たちから得意のチェンジアップを褒められたことで、ピッチングに自身がつきました。しかし、海外のバッターと戦うどころか全くその後の代表選手には呼ばれず、戦うチャンスすらありませんでした。この原因が体が小さいことだと感じ、日本に「もっと海外の選手と戦って自分のボールが大型バッターを倒せることを証明したい」と思い実業団ではなく直接海外の選手と戦うために留学しました。

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クラウドファンディングもしています

留学計画の立て方(エージェントを通したのか自分でやったのか、先輩に手伝ってもらったかなど)

留学の計画はオーストラリア在住の日本人の方にお願いしました。ただでさえ、シーズン中で忙しい時期にビザのことや色んな資料を揃えることで大変だったので、頼れる部分はしっかり頼りました。周りの話を聞いていると何人か自分で全てやった人もいるみたいですが、相当な体力が必要だろうなと感じました。

留学前の留学イメージ

オーストラリアはある程度観光地なので、日本語が割と通じることも多いのかなと正直思っていました。しかし、現実は勿論そんな甘くはなく全て英語。また、ソフトボールの環境はグランドもボコボコで練習環境も芝生で投げたりしないといけないのかなと思っていました。

留学前の英語力

お世辞でも話せるとは言えないレベルでした。初めてホストファミリーと話した日は「YES」の一言が精一杯でした。

現在の英語力

初めは下から二番目のクラスに入りました。現在留学して4ヶ月ほど経っていて、中間のクラスでもそれなりに抜けている方だと思います。来週再来週くらいに中上級のレベルへ上がる予定です。具体的にできるようになった事は、チームメイトとのたわいのない会話が一対一でできるようになった。日本人の友達が携帯を契約したいときに通訳をした。オーストラリアに来て2週間しか経っていない日本人の友達が伝えたいことを代わりに先生に伝えて、先生の言ったことを通訳した。ことですね。英語に対しての恐怖心はほとんどなくなり、後は単語力と文法をどんどん増やして行くことかなと思います。

留学してみて変わったこと

留学前は正直英語自体はもっと早くに話せるようになると思っていて、初めの方は焦りがありました。しかし、思っているより緩やかに成長するものであることと、話した分だけ上達を感じました。また日本食や母国語は話せるという心地の良い空間に対しては本当に貴重だなと今まで当たり前だったことに感謝することができるようになりました。オーストラリア自体、色んな国の人たちが沢山いるので様々な文化交流もあって本当に楽しいです。もともと韓国語を少し勉強していたのですが、それがまさかこっちに来てこんなに韓国人受けが良くなるとは思ってなくて勉強って無駄になる事は何一つないなと感じることができました。

留学後の留学イメージ

まずは、想像以上にソフトボールの環境がいいことにびっくりしました。ナイターもついているし、チーム数も観客も多くて地域と密着した形が取れていると感じました。また、留学って「英語を学ぶ」というイメージが強かったですが、今は「自分と向き合うための時間」と感じています。日本にたくさんのことを残して来て今回留学に来ているので、元々やりたいことが多い私にとってはオーストラリアに来てから、頭の整理がどんどん出来るようになったなと感じています。

留学中に困難を乗り越えた経験

学校に入学して、2ヶ月くらいしたときに先生とぶつかったことくらいですかね。笑 担任の先生と合わなかったことと、自分の言いたいことが英語で言い返せなかった悔しさが全て涙で流れました。正直こっちに来てから何回か泣いています。笑 逆にルーティーンというか自分を整理するために一人で考えるための時間だと思って大事にしています。友達とも話していて感じる事は、英語をしっかり勉強して来た人は変にプライドがあって伸びなかったりするんですよ。ですが逆に英語が全く話せなかった分、プライドもなく開き直って恥じらいを捨てて話せた部分があったことと、ソフトボールを現地でやることで言語の壁はあまり感じなかったです。

今後の目標

東京オリンピックに出ることです。私はピッチャーにしては身長が低いので(154㎝)あえて実業団にいかずに違うルートでオリンピックを狙うことにしました。また、日本にはソフトボールをトップレベルでできる環境が少ないので、オーストラリアの他にカナダ、アメリカと拠点地を広げて海外でソフトボールができる環境を一つでも多くしていきたいです。最終的にはスポーツ留学が当たり前になる日本、そして世界を作って行きたいですね。

スポーツ留学生に伝えたいこと

もし留学をしたいけど英語力や金銭面で悩んでいる人は、迷わず行ってほしいです。今日では、【文部科学省】トビタテ!留学JAPAN - その経験が、未来の自信。

を初めとした奨学金が増えて来ていて、勉強以外の面でやる気や夢があれば海外に飛び出しやすい環境が整って来ています。やる前に諦めないでどんどん飛び込んでみてください。スポーツは他の分野と違い、年老いて行く毎にパフォーマンスが低下してしまいます。勉強や仕事と違い若いうちしかできません。やりたい事をやり抜いてほしいと思っています。頑張ってください!

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